今から4年前の2019年12月4日、アフガニスタン東部のジャララバードで、
長年、人道支援に取り組んできたNGO「ペシャワール会」の現地代表で、 医師の中村哲氏が銃撃されました(当時73歳)。
「アフガニスタンの砂漠を緑に変えたドクター」とも言われる医師の中村哲氏は1984年、まだ30代後半だった頃、中村氏は拠点をパキスタンに移し、ペシャワールの病院で勤務。
中村氏が勤めていたパキスタンの病院の患者のうち、半分ほどが戦争中のアフガンから避難した方でした。
アフガニスタンに医者がいない村がたくさんあることを知った中村氏は1991年、あえて、戦争中のアフガニスタンに診療所を開きます。
病院が少ないことに加えて、アフガニスタンには「干ばつ」という大きな問題がありました。
大地が乾くため、作物が育たず、子供たちは泥水を飲むという、ひどい状況。
そこで、中村氏は独学で土木技術を学び、 2000年から井戸を掘り始め、2003年からは用水路の整備や農地の再生にも取り組みました。
2010年には1本の用水路が完成。
近くの村には水が行き渡り、小麦や大根など様々な作物が育ち、砂漠だった場所が緑に生まれ変わり、用水路のおかげで、およそ65万人の命が救われたとも言われています。
その後も、中村さんは用水路を作り続け、銃撃された4年前(2019年)の12月4日もいつも通り用水路の工事現場に向かっていました。
今回はアフガニスタンの人道支援に力を尽くした「日本人医師・中村哲氏の功績とアフガニスタンの現状」について、
戦場カメラマン・渡部陽一氏が解説します。
※アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)
冷戦時代の1978年に成立したアフガニスタンとアフガンと軍事同盟を締結して介入・侵攻したソ連と、それらの政府の政策に反対して総決起した「ムジャーヒディーン」と呼ばれるイスラム聖戦士の間で勃発した戦争。
長年、人道支援に取り組んできたNGO「ペシャワール会」の現地代表で、 医師の中村哲氏が銃撃されました(当時73歳)。
「アフガニスタンの砂漠を緑に変えたドクター」とも言われる医師の中村哲氏は1984年、まだ30代後半だった頃、中村氏は拠点をパキスタンに移し、ペシャワールの病院で勤務。
中村氏が勤めていたパキスタンの病院の患者のうち、半分ほどが戦争中のアフガンから避難した方でした。
アフガニスタンに医者がいない村がたくさんあることを知った中村氏は1991年、あえて、戦争中のアフガニスタンに診療所を開きます。
病院が少ないことに加えて、アフガニスタンには「干ばつ」という大きな問題がありました。
大地が乾くため、作物が育たず、子供たちは泥水を飲むという、ひどい状況。
そこで、中村氏は独学で土木技術を学び、 2000年から井戸を掘り始め、2003年からは用水路の整備や農地の再生にも取り組みました。
2010年には1本の用水路が完成。
近くの村には水が行き渡り、小麦や大根など様々な作物が育ち、砂漠だった場所が緑に生まれ変わり、用水路のおかげで、およそ65万人の命が救われたとも言われています。
その後も、中村さんは用水路を作り続け、銃撃された4年前(2019年)の12月4日もいつも通り用水路の工事現場に向かっていました。
今回はアフガニスタンの人道支援に力を尽くした「日本人医師・中村哲氏の功績とアフガニスタンの現状」について、
戦場カメラマン・渡部陽一氏が解説します。
※アフガニスタン紛争 (1978年-1989年)
冷戦時代の1978年に成立したアフガニスタンとアフガンと軍事同盟を締結して介入・侵攻したソ連と、それらの政府の政策に反対して総決起した「ムジャーヒディーン」と呼ばれるイスラム聖戦士の間で勃発した戦争。
INDEX
① 中村哲さんの功績はアフガニスタンの何を救ったのか?
② 現地の人との信頼関係の大切さ
③ アフガニスタンで戦争が止まらない要因
④ アフガン再生への道
📷photo lineup
【アフガニスタン・ガルデス】机がなく地面に座って勉強に向き合う子どもたち
【アフガニスタン・ガルデス】教室で学ぶ女の子たち
【アフガニスタン・ガルデス】机がなく地面に座って勉強に向き合う子どもたち
【アフガニスタン・ガルデス】教室で学ぶ女の子たち
①中村哲さんの功績はアフガニスタンの何を救ったのか?
残念ながら、生前の中村哲さんとは面識はありませんでしたが、私が2009年のアフガニスタン取材をする以前の2007年パキスタン取材の頃に中村さんの活動を耳にしていました。
国民のライフラインの土台を支え続けてきたことは、アフガニスタン全土に志が届いていました。
特にアフガニスタンの地方での暮らしは、生活そのものを保つことが難しい。
灌漑施設による緑化農業の浸透は現地の方々にとって、生命の息吹であったと思います。
現在、築き上げた9つの用水路の周辺は約1万6000ヘクタールが緑化され、アフガンで暮らす65万人もの自給自足を支えることができています。
②現地の人との信頼関係の大切さ
戦場カメラマンとして、世界中の国を取材させていただき、現地の方との交流をとりながら写真を撮っていく。
医師とカメラマン、職業は違いますが平和を願っていること、異国に赴き活動するということは一緒。中村さんの活動から刺激を受けたことはたくさんあります。...