渡部陽一「1000枚の戦場」123~126/1000
第31回のテーマは「アフガニスタン大地震の被害拡大の要因」について。
現地時間10月7日午前11時11分(日本時間15時41分)、アフガニスタンのヘラート州でマグニチュード6.3の地震が発生。
そしてわずか数日後にもマグニチュード6.3の地震が続き、一週間のうちで約数千人もの死者数が出る被害がでています。
地震発生から約1か月、ほとんどの民家が崩壊し、犠牲者の9割以上が女性や子どもであることをユニセフ=国連児童基金が明らかにしました。
アフガニスタンはイスラム組織タリバンが政権を掌握しています。女性や子どもが犠牲になってしまった背景には、タリバン政権の管理体制の何が影響しているのか。
渡部陽一氏が現地で撮影した写真とともに解説します。
土壁の家が並ぶアフガニスタンの住居環境
こんにちは。戦場カメラマンの渡部陽一です。
アフガニスタン西部ヘラート州で現地時間の10月7日に大きな地震が繰り返し発生し、多くの死傷者が出ています。
この写真を見ていただくとよくわかるんですけど、首都カブールや大都市を除く、アフガニスタンの住居環境というものは、このように粘土のような土を乾燥させて、組み上げた土壁の町並みがずっと続いているんです。
乾燥している地域なので、この地域では石・木材といった資源がそもそも手に入らない。
何千年という昔から伝えられてきた土壁の家に、ほとんどの方が暮らしているんです。
写真を見ての通り、電線とか電柱というものもありません。
ケロシンランプ(※)の、わずかなろうそくのような火で、夜は暮らしていく。
100年前、200年前から変わっていない生活環境が今もそのまま続いている状況なんです。
その中で、大規模地震が起こった時、やはりこの住居環境では、耐震・免震という構造はほぼないため、壊滅状況に陥ってしまったんです。
タリバン政権の管理下に起こった被害拡大の要因
さらに、イスラム組織タリバンによる国内の統治体制も、犠牲を拡大させてしまいました。
この土地で何百年、何千年と暮らしてきたアフガニスタンの人たちは、2021年にタリバンによって管理されました。
厳格なイスラム思想を全域に落とし込んでいくため、女性が自由に学ぶことや仕事に就くこと、そして男の子、女の子が自由な教育を受けること、外に出て娯楽やファッションを楽しむこと、音楽を聞くこと…そういったことは事実上、禁止されています。
それゆえに地震が起こった時、家の中にいたのは、ほとんどが女性と子供たち、小さな命だったんです。
男性は外で農業に従事していたり、様々な物資を運んでいましたが、女性や子供たちは土壁の家で生活していました。
「管理」と言っても、事実上は「放置」と言ってもいい。
支援もない電力もないガスもない。雇用もない。
事実上、地方都市はまるで中世のようなイスラム教の国々を再興させているような状況なんです。
この地震被害が拡大した背景というのは、このような手付かずの厳しい環境で、イスラム組織タリバンに事実上放置され、ほとんどの犠牲者が女性や子供たちばかりになった。
そして、世界中の方々の医療の受入体制はもはや壊れてしまっている。
タリバンの復権によって、約20年間アメリカ軍が駐留して作られた行政システムが、またゼロにひっくり返されたなかで起こった大地震。
支援体制は何をしたらいいかわからない。
これが今のアフガニスタンの情勢です・・・〈続きは動画で✅〉
《今回のポイント》
① 地方都市のほとんどの家は古く、土壁で出来ていた為、地震で壊滅的な状況に。
② タリバン政権下では子供や女性の自由や権利がなく、地震の被害者の多くは家にこもっていた子供や女性たちだった。
③ タリバン政権下では被災地は放置されている状況で、世界的にも孤立している為、支援の受入体制も整っていない。
・写真8/1000:人道回廊で蜂の巣にされた車
・写真12/1000:並ぶ戦車(ウクライナ)
・写真17/1000:溶けたロシア軍戦車
・写真19/1000:広大なひまわり畑
・写真23/1000:忘れられた孤島「スーダン」
・写真27/1000:タリバーンが力を再興させた「アフガニスタン」の今
・写真31/1000:新疆ウイグル自治区で暮らす人々
・写真35/1000:「トランプ・共和党」熱狂の背景を映した1枚
・写真39/1000:金日成・正日が示す威光
・写真46/1000:ウクライナの悲しみを表した赤と黒の旗を羽織る少年
・写真51/1000:頭にボールを乗せるイラクの少年
・写真55/1000:イラクの群衆
・写真61/1000:街中を監視するアフガニスタンの男性セキュリティ
・写真64/1000:燃やされたウクライナ北西部のアパート
・写真70/1000:シリア国旗のミサンガをつけた避難民
・写真74/1000:ポーランドとウクライナ・キーウを繋ぐ国際列車
・写真78/1000:首都キーウ中央駅のプラットホームで再会する家族
・写真80/1000:ダルフール地方ニャラに設置された難民キャンプ
・写真86/1000:キーウの街中で目にしたアーティストの壁画
・写真87/1000:泥水に覆われた道をトラックで数か月かけて走破したジャングル
・写真91/1000:日本人襲撃テロ事件の現場となったダッカのレストラン、ホーリー・アルチザン・ベーカリー
・写真96/1000:世界遺産ハバナ旧市街の街並み
・写真101/1000:ロシア軍による軍事占拠を意味するVのマークが記された乗用車
・写真107/1000「ワールドトレードセンター爆破事件跡地に建てられたワンワールドトレードセンタービル