「歴史ノ部屋」でしか読めない、戦国にまつわるウラ話。今回は歴史学者、歴史家、歴史作家の違いを解説します!

歌川国芳『武田上杉川中嶋大合戦の図』(部分)

歴史学者と歴史家と歴史作家の違い

 インターネットを中心に明確なカテゴリ分けができているようで、揺れがちな歴史業の表現者たちとして、「歴史学者」「歴史家」「歴史作家」がある。

 三者は明確に差異のある表現者(アウトプッター)である。

 国語辞典の定義とは異なるかもしれないが、現在の実態に照らし合わせて、ここで簡単に分類してみたい。

 その上で、我々歴史業界にある者がどういう姿勢であるべきか、自分の考えを示しておきたい。

歴史学者とは何か

 歴史学は、学術的研究に基づき、確実性の高い事実の復元に努めている。

 いつどこで誰がどのようなことをしたかを客観的な姿勢で知識を共有しながら、相互に情報の精度を高めていく。こうすることで「史学界」の総意となる史観らしきものを形作っている。

 個人の主観を排して、客観を集積させることで、集合意識のような主観を何となく形成しているのである。

 その総合成果として一般の目に触れやすいのは、歴史教科書に書かれている内容である。

 ただし、教科書の掲載内容は、案外あっさりと頻繁に更新されるものだと認識されているように、今はその総合成果も不安定であることが知られている。

 厩戸皇子を聖徳太子と表記しなくなり、鎌倉幕府を1192年と断定しなくなった(否定まではしていない。異説も正解のひとつと認める形に変わった)。長篠合戦は、新しい織田鉄砲隊の三段撃ちが旧式の武田騎馬隊を撃ち破ったとも書かなくなった。関ヶ原合戦も、石田三成と徳川家康の戦争ではなくなった。

 このように長らく歴史学の定説とされてきたものですら、実はそんなに当てにならないことがわかってきた。ここに歴史学なるものの誠実さと弱さが露わになっている。

 歴史学は、事実の確認である。

 史料批判という言葉があるように、日々史料の正確な情報を確認して、既存と異なる正確な事実を確認しようとしている。

 そうすることで見えてくることはたくさんある。というよりも、歴史の大半が実はほとんど、まともにわかっていないのだ。

「敵に塩を送る」の内実

 たとえば、上杉謙信の挿話もに「敵に塩を送る」というものがある。

 これはこの言葉だけが有名だが、実際はどうだろうか。

 出どころとなった文献を読んでみると、謙信は武田信玄に無料で塩を送ってはいない。

 実際は、塩商人たちに向かってこう告げた物語になっている。...