「歴史ノ部屋」でしか読めない、戦国にまつわるウラ話。今回から不定期連載でこの「信長の野望」シリーズについて検証していきます。

 まずは、シリーズに登場する「信長包囲網」について。

 コーエーテクモゲームスの『信長の野望』シリーズは、累計1000万部の実績を誇る国民的ゲームシリーズである。タイトル通り主人公は織田信長だが、システムも信長の国盗りイメージが取り入れられている。

 無印時代の初代作品では、プレイヤーは織田信長と武田信玄のどちらか片方の大名しか選べなかった。しかも舞台地域は信長が進出した畿内地域がメインで、関東は出てこなかった。次回作「全国版」になると、日本中の「大名」全てが平等に国盗りと天下統一ができるようになった。信長が絶対ではない、日本全国の大名か主人公となったのである。

 こうして群雄割拠の戦国時代ブームを呼び招いた本作は、もはや「戦国シミュレーションゲーム」の代名詞と言って差し支えないだろう。

織田信長像

包囲網の概念

 コーエーテクモゲームスの『信長の野望』シリーズには、黎明期より大名包囲網の概念がする。

 大名包囲網というのは、大名Aを対象に周辺の諸大名と諸勢力が揃って同盟を組み、Aを滅ぼそうと連携して動き出すシナリオ(またはゲームイベント)である。

 歴史研究の用語としては、「織田信長包囲網」「元亀争乱」と呼ばれる状況で、史実ベースの概念である。

 シリーズでは、4作目に「信長包囲網」のタイトルで登場してから、ほぼ常連のシナリオとなっている。

 ここでは作品ごとの「信長包囲網」のシナリオを見ていき、最後に史実であった大名の包囲網を説明して、ゲームとの共通点・相違点を総括したい。

史実の信長包囲網

 まずは簡単に通説で史実とされる「信長包囲網」(「反信長包囲網」とも)について説明しておこう。知っていると思う方は飛ばしてもらってかまわない。

 この用語は、昭和42年(1967)の小林計一郎『武田軍記』(人物往来社)から使われており、このときの説明が現在の通説とほぼ同じものとして生きている。

 元亀3年頃まで、織田信長と武田信玄は友好関係を保っていた。「しかし信玄は裏面ではあらゆる反信長勢力と款(よしみ)を通じて信長包囲網を形成していった」という。

 もともと信長は、朝倉義景(越前)・浅井長政(北近江)・六角承禎(南近江)の連合軍、三好一党・大坂本願寺(摂津)および一向一揆勢力(加賀、伊勢など)その他畿内の諸勢力(荒木村重、松永久秀など)と争っている中、さらに武田信玄が挙兵して、最後には京都の足利義昭まで信長に宣戦する有様だった。

 周辺勢力がほぼ敵対する状況は、信長の生涯において最大級のピンチであった。だが、越後の上杉謙信、三河遠江の徳川家康、そして義昭を見限って幕臣から転属した細川藤孝や明智光秀など、信長に味方する勢力もいて、信玄の急な病死を境に、信長は迅速に各個撃破の反攻に打って出た。

 ここため、義昭を打ち破り、将軍を京都から追放、朝倉・浅井を滅亡させ、荒木・松永らを降参させた。本願寺とも停戦の運びとなった。

 包囲網形成からその解消に至るまでの戦いは、劇的でめまぐるしく、これをゲームの舞台にすることで「主人公たる信長の苦戦ぶりを体験したい」という思いだけでなく、敵対する陣営の側としても「ここで信長をどうやったら倒せか、倒したらどうなるか」にチャレンジしたいプレイヤーの空想を刺激することができる。

 戦国ゲームとしては、ある意味では理想的時代の設定なのだ。

信長包囲網のシナリオ登場率

 信長包囲網は、シリーズの人気シナリオとしてほぼ毎回用意されている。次の一覧表を見てもらいたい。...