栗山英樹の悩みを助けてくれたのはいつも本だった。2013年沖縄キャンプにて。写真:高須力

 「監督と選手」「監督と人事」「監督の役割」など、監督という仕事に必要だった知識から、大谷翔平、近藤健介、中田翔らスター選手とどう接し、彼らから何を学んだか、その秘話までを余すことなく綴った栗山英樹の新刊『監督の財産』。

 その一部を発売までの連続で配信する本連載。第3回は「ファイターズ監督就任後、学びなおした古典」。それはどのように役立ったのか?

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144試合99通りの「打順」をどう考えるか

(『監督の財産』収録「3 伝える。」より。執筆は2013年1月)

 10年ほど前から、車の中でいつも聞いていたCDがある。

 青春の懐メロとか、流行歌とか、そういった類ではなく、僕がずっと勉強したいと思っていた先人の知恵を、読み聞かせたり、わかりやすく解説したりしているものだ。

 本ならともかく、世の中にそんなCDがあるのかと、驚かれる方も多いかもしれないが、実際、売り物になっているということは、それなりに需要はあるということだ。

 具体的に例を挙げると、こんな感じだ。

『韓非子』……中国、戦国時代末の思想家である韓非の言説を集めた書。春秋戦国時代の社会、思想の集大成とされる。

『孫子』……中国、春秋時代の思想家である孫そん武ぶの作とされる兵法書。古今東西の兵法書のうち最も著名なもののひとつ。

『菜根譚』……明の時代の末に著された古典のひとつ。中国では長く厳しい乱世が多くの処世訓を生んだが、その中でも最高傑作のひとつとされる。

『貞観政要』……唐朝の第2 代皇帝で、中国史上最高の名君のひとりと称えられる太たい宗そうの言行録。古来より帝王学の教科書とされてきた。

 これらのCDは10年ほど前から聞いていたものの、所詮、車の中で流していた程度だから、それほど真剣に勉強しようとしていたわけではない。

 それを、集中して聞き直そうと思ったのは、やはりファイターズの監督を引き受けることを決心してからだった。

 車の中ではなく、部屋できちんと聞き直してみた。

 すると、これまで聞いていたものとはまるで別物に感じられるほど、先人の教えに何度となくうなずかされた。いままではあまり気になっていなかった、まったく気にもとめなかった言葉までもが、どれも心に響いた。

 中でも、いまや「座右の書」ならぬ「座右のCD」となっているのが『言志四録』だ。

『言志四録』は、江戸時代後期の儒学者である佐藤一斎という人物が、人生半ばから約40年にわたって記した4 つの書の総称で、指導者のためのバイブルとされ、現代まで長く読み継がれている。愛読した指導者としては、あの西郷隆盛などが有名だ。

 4書はそれぞれ、42歳から53歳までに執筆された『言志録』(全246条)、57歳から67歳までに執筆された『言志後録』(全255条)、67歳から78歳までに執筆された『言志晩録』(全292条)、80歳から82歳までに執筆された『言げん志し耋てつ録ろく』(全340条)で、全1133条が収められている。

 僕が所有しているCDセットは、「企業再建の名人」といわれた井原隆一さんの「言志四録に学ぶ経営学、人間学」と題した講義をもとに再構成されたもので、解説テキストも付いている。

 だが、車の中でそれを読むはずもなく、CDとテキストを照らし合わせてみるようになったのは、やはり本気で学ぼうという意識になってからのことだ。

 ではここに、僕が心に留めている『言志四録』の中の言葉をいくつかご紹介しよう。

 立志の功は、恥を知るを以て要となす。(言志録七)
【意味】志を立てて成功するには、恥を知ることが肝要である。

 恥をかいて、屈辱を受けることが、発奮を促し、自らを成長させるのだと解釈できるこの言葉だが、解説テキストの中では、井原さんがこんなヒントをくれている。

「人との約束は守るのが当たり前。しかし、自分との約束はなかなか守れない。自分との約束を破るのは、自分に恥じることです。しかし、この自分を恥じることが、自分を成長させてくれるのです」

 そこで僕は、自分との約束を破ることこそ一番の恥だと考え、それだけは守ろうと心に誓った。監督1 年目の元日、自分との約束をノートに記したのは、そういう理由からである。

 愛悪の念頭、最も藻鑑を累わす。(言志録四○)
【意味】好き嫌いという考えが頭にあると、人物鑑定を間違えるもとになる。

 僕が以前より、三原脩さんや野村克也さんに学んできた「先入観」に対するものの考え方は、「好き嫌い」という言葉に置き換えてみると、より日常生活にも当てはまりやすいのではないだろうか。

 客観的なデータは検討材料にすべきだが、そこに好き嫌いという感情的なものを持ち込んでしまうと、どうしても人を見誤るケースが出てきてしまう。人を起用し、配置する立場にある場合、特にそれは禁物だ。

 プロ野球では対戦相手の選手を評価するときにも、それは気を付けなければならない。選手の好き嫌い、つまりやりやすい相手か、やりにくい相手か、それを主観的に捉えていると、致命的な判断ミスの原因になりかねないからだ。

 ちなみに去年(2012年)、ファイターズのスタメン(打順)は、実に93通りもあったらしい。その数字を聞いたときは、そんなにいっぱいあったのかと、さすがにちょっと驚いた。レギュラーシーズンの144試合で93通りだから、かなり頻繁に組み替えていたことになる。

 打順については、本当は固定したほうが前後のバッターの考え方がわかりやすいので、選手はやりやすいはずだ。だが、打順が変わることで、良い意味での緊張感が生まれたり、役割が変わることで、なにかが打開できたり、メリットも少なくないと考えている。

 それらを踏まえた上で、この選手は1番タイプだとか、2番タイプだとか、そういった先入観を捨てて、積極的に組み替えた結果が、93通りという数字になったということだ。

 およそ教は外よりして入り、工夫は内よりして出づ。内よりして出づるは、必ずこれ外に験し、外よりして入るは、まさにこれを内に原たずぬべし。(言志後録五)
【意味】知識は外から入ってくるもので、工夫は自分の内から出るものである。内から出たものは外で試して、検証すべきであり、外から得たものは、自分なりに正否を検討すべきだ。

 解説テキストには、同義の教えがいくつか紹介されている。

 中国の春秋時代の思想家である孔子と、その弟子たちの言行を記録した『論語』には、「学びて思わざれば即ち罔し。思いて学ばざれば即ち殆うし」という言葉がある。「学んだことは考えてみる、自分で考えたことは知識を補いなさい」ということだ。

 また、明の時代の思想家である王陽明は「知行合一」を唱えた。「知識と行為は一体である。真に知ることとは、行うことである」というものだ。

 学んだら、考えてみる。考えたら、実行してみる。その先にしか答えはない。

<中略>

 人おのおの長ずる所あり、短なる所あり。人を用うるにはよろしく長を取とりて、短を舎つべく、自ら処するにはまさに長を忘れて以て短を勉むべし。
(言志晩録二四四)
【意味】人にはそれぞれ、長所と短所がある。人を使う場合、その長所だけを見て、短所は見ないようにするのがよい。しかし、自分がなにかをなす場合には、自分の長所は忘れ、短所を改め、補うように努力すべきである。

 人の長所と短所については、いつも考えさせられることが多い。

 ある人に、こんな言葉をいただいた。

「クソ生意気なやつの〝クソ生意気〟を全部否定してしまってはダメだ。〝クソ〟だけ取り除いてやればいい」

〝クソ生意気〟は短所だが、そのクソを取り除いてやれば、〝生意気〟は長所にもなる。もし、クソが取れて化けたときには、チームを大きく変えられる存在になるかもしれない。

〝クソ生意気〟なやつのポテンシャルは、えてして高いものだ。

教えてこれを化するは、化及び難きなり。化してこれを教うるは、教入り易きなり。(言志耋録二七七)
【意味】まず教えてから感化しようとしても、感化するのはなかなか難しい。しかし、最初に感化しておいてから教えるようにすると、容易に教え込むことができる。

 プロ野球でいえば、コーチが身をもって範を示し、選手を自然とその気にさせる。頭ごなしに指示するよりも、そのほうがはるかに効き目があるということだ。

 僕がコーチに、なによりも愛情や情熱といったものを求めるのは、それが選手を感化するために最も必要な要素だと考えているからだ。愛情をもって感化しておけば、技術や戦術を指導するのは、それからでもけっして遅くはない。

(『監督の財産』収録「3 伝える。」より)

本原稿が収録された『監督の財産』は9月9日刊行される。(クリックで詳細ページに飛びます)