2012年、監督1年目を戦う栗山英樹氏。写真:高須力

 約12年の監督生活で知り得た「経験知」を後世に遺したい――そんな思いが結集した栗山英樹の一冊は『監督の財産』と題されて9月9日に刊行される。

 過去に出した5冊の書籍が収録される本書は、シーズン直後にその1年を振り返った時のダイレクトな思いと、それを振り返った現在の思いとの対比だ。特に、大谷翔平を獲得した当時の思いは生々しく、学びが多い。

 今回は監督4年目を終えた時に振り返った秘話の一部を紹介する。

「いま、よければいい」はダメ

(『監督の財産』収録「4 未徹在」より。執筆は2015年)

 高校を卒業してすぐに飛び込んでくる者もいれば、大学、社会人を経て、30歳近い年齢になって門を叩く者もいる。プロ野球とはそういう世界だ。そして、一軍で活躍する選手にはいつもまばゆいばかりのカクテル光線が照らされ、ファームで苦労している選手にはキャリアにかかわらず厳しい環境しか用意されていない。

 そんな華やかで心もとない場所だからこそ、選手たちにはどうしても伝えておかなければならないことがある。少なくともそれを伝えようとすることは自分の義務だと考えている。

 野球選手である前に、ひとりの社会人として、もっと言えば人としてどうあるべきか。

 前年のリーグ優勝から一転、最下位に沈んだ2013年の秋、プロ1年目のシーズンを終えたばかりの大谷翔平ら、若手選手を集めたミーティングで、『論語と算盤』を題材に話をした。みんな露骨に態度には表さないものの、正直なところ、「ろんごとそろばん???」といった感じで、頭の上にいくつも「?」を浮かべていたことと思う。

 同書は、日本の資本主義の父と言われる実業家・渋沢栄一さんの著書で、日本人必読の書として紹介されることの多い名著だが、野球選手にとっては少しばかり縁遠い書物と言えそうだ。実のところ、僕も監督になるまでは「タイトルは聞いたことがあるけれど……」という程度の認識で、きちんと読んだことはなかった。

 では、なぜその『論語と算盤』を題材に話をしようと考えたのか。

 監督になって、それを読んでみようと思ったのは、経済誌の特集がきっかけだった。企業の経営者が座右の書を紹介する特集で、そこで最も多くの方々に挙げられていたのが『論語と算盤』だったのだ。

 気になって読んでみたら、これを座右の書とする社長さんが多いのも納得の、実に興味深い一冊だった。

 その頃、人間としての成長がなければ野球選手としての成長もありえない、と強く感じ始めていたので、勝手に「算盤」を「野球」に置き換えてみた。人のために尽くすこととお金を稼ぐことが一致するならば、それは野球選手として成功することとも必ず一致するはずだ。

「そうだ、『論語と野球』だ」って。

 プロの世界で一日でも長くプレーし、成功を収めるためにはいったいどうすればよいのか。そのためにも、まずはプロ野球選手が陥りやすい弊害を解消したいという考えがあった。その弊害とは、例えばこういったものだ。

「いま、よければいい」「今日、ヒットを打てればいい」「今日、勝てればいい」

 ヒットを打つにも、その結果を持続させるためには根拠が必要となるが、プロ野球は毎日のものなので、どうしても「いまさえよければ」というところに陥りやすくなる。長続きさせるためには本当はこういうアプローチじゃダメなんだって分かっているのに、たまたま結果が出るとそこに引っ張られてしまう。そして、結果が出るとチヤホヤされる。そうされると勘違いする。そう、陥りやすい弊害は「慣れ」や「勘違い」と言い換えてもいい。

 それを考えたときに、普遍的なものの考え方を学ぶことがその弊害を解消するヒントになるんじゃないかと思った。人を騙だましちゃダメだとか、ズルいことをしちゃダメだとか、子どもの頃、そんなことをしたら神様に怒られるよって言われたような教えはやっぱり大事で、そういう正しい生き方をすることが、プロ野球選手として成功するためにも必要なんじゃないか、と。

 一番大切なのは人として正しいか、間違っているか。だから、『論語』なのだ。

 それは選手たちに伝える以前に、自分自身に言い聞かせていることでもある。そういうものをちゃんと勉強しろよって、人に言いながら自分に聞かせている。自分に当てはめてみて、その考え方に沿っているかどうかを確認しているのだ。

 また、『論語と算盤』を書いた渋沢さんは、決して利益を独占しようとせず、他人の富のために自分の持てる力をすべて出し尽くし、多くのことをやり遂げた人だった。私心がないこと、つまり自分のためにやっていないことが原動力だ。

 それはプロ野球選手も同じだと思っている。「人のために尽くしきれるか」こそが最大のテーマだ。みんな最初は自分のためにプレーする。それがやがて自分を離れて、家族のために、ファンのために、チームのために、そういった気持ちが勝るようになり、気付けば誰かに喜んでもらうということが大きな原動力となっている。

 いつかは「ファイターズの野球ってそういう野球だよね」とファンの皆さんに言ってもらえるようになればいいなと思っている。

 さて、『論語と算盤』を題材にした秋のミーティングだが、そこで選手たちに配った資料を大幅に加筆修正して『監督の財産』に掲載してみた。皆さんにうまく伝わるかどうかは分からないが、選手たちに伝えようとしたことの断片でも感じてもらえたらと思う。

(以下、資料の15項目のうち3項目をシンクロナス限定で掲載)

あなたにとって相棒とは?
▢ここでいう相棒とは困ったときや迷ったとき、あなたにヒントを
くれる存在です。人でも、物でも、言葉でも構いません。
▢人であれば家族? 恩師? 友人? 物であればバット? グラ
ブ? シューズ?
▢社会で多くの人に貢献、活躍している人たちに相棒を尋ねたら、
みんながその題名をあげる一冊の本がありました。
▢それは人間力を高めるためのヒントがぎっしり詰まった一冊だと
いいます。

人間力っていったい何?
▢そもそも人間力っていったい何でしょう?
▢ファイターズが貴重な時間を使ってまで、こうして人間力を高め
ることに力を注いでいるのはなぜでしょう?
▢それは、誰もが成長するためにとても大切なものだから。
▢それは、誰もが絶対的に必要なものであることを知っているから。

例えばこんな場面、あなたならどう考える?
▢ 0対1 、1 点リードされて迎えた5 回表の守備、フォアボールと
エラー絡みでさらに2 点を失いました。
▢ 3点を追うその裏の攻撃、フォアボールと2 塁打で無死2 、3 塁
のチャンスをつかみます。
▢ベンチからはバッターに任せるというサインが出ています。
▢もちろん思い切って打ってもいいのですが、あなたがバッターな
らどんなことを考えますか?

・・・

 ミーティングで若い選手たちに伝えた『論語』の話は、やはり彼らには少し難解だったかもしれない。

 でも、知らないことを学ばなければ人は成長できない。自分が知っていることを人に話すより、知らないことを人から聞いたほうが絶対にプラスになる。

 勉強しようとは思わなくてもいい。そう思うと、なかなか続かないので。それよりも自分がどうなりたいのかを具体的にイメージすること。すなわちそれが志を持つということ。

 そういう人になりたいという思いをより強く、よりはっきりさせれば、自然と勉強するようになるはずだ。本当にそうなりたいんだったら、勉強しなきゃおかしいから。

 そもそも勉強という言葉がよくないのかもしれない。要するに成長するための食事をたくさん摂とりましょう、ということだ。

 本を読むという行為は脳の食事みたいなもので、たくさん食べないと、脳に栄養が行き届かなくなってしまう。特に若いうちは、こっちの食事もモリモリ食べたほうがいい。

(『監督の財産』収録「4 未徹在」より。執筆は2015年)

9月9日『監督の財産』栗山英樹・著。大谷翔平から学ぶべきもの、そして秘話なども掲載。写真をクリックで購入ページに飛びます