4年目に突入する歴史家・乃至政彦氏の連載『歴史ノ部屋』、今回から「小田氏治」の連載が開始――。

 常陸の不死鳥と呼ばれる戦国大名・小田氏治。

 連戦連敗のデータをベースに 「戦国最弱」と呼ばれることも多く、あまり有能ではないイメージが定着しつつある。だが、本当に弱い武将が何度も大きな合戦にチャレンジできるのだろうか。

 本当に無能な人物ならたった一度の戦いで全てを失ってしまいかねない。そもそも有名な戦績データがどこまで事実であるかを確かめる必要がある。新しく始まる連載では、「小田氏治の合戦」をテーマにその実像に迫りなおしていく。

『戦国の不死鳥 小田氏治』
(1)小田氏治は「讃岐守」だったのか?
・戦国武将の戦争
・小田氏治はなぜ戦い続けたのか?
・小田氏治の官名「讃岐守」はいつから?
小田氏治像 法雲寺蔵

戦国武将の戦争

 この連載は、「小田氏治の合戦」をテーマとする。

 戦国大名──この連載ではそう言い切ってしまおう──小田氏治は、何度負けても生き残ったというところから、一般に軽く見られがちである。小馬鹿にしているというより、お気軽で楽観的なイメージで見られている。

 歴史の偉人は謎だらけで、よくわからないところは神話的コミック的なファンタジー要素を入れることで、ひとまず納得するということが繰り返されてきた。よく使われるのが『狂気』である。近年の大河ドラマでは、織田信長や源義経がそのように演出されていた。

 小田氏治の場合、「重要な合戦で大敗して、それでもなぜか再起して戦い、また繰り返し敗れてしまう」というところがクローズアップされ、ファンタジックな「不死鳥」の呼び名が定着している。氏治ゆかりの「小田城跡歴史ひろば」でも、不死鳥の御城印象を販売している。

 そこにインターネットで広まった「最弱武将」というパワーワードが合わさって、氏治は憎めない面白みのある武将というイメージが広まっている。

 ただ、イメージが先走りすぎると、その実像を見誤らせる向きがある。

小田氏治はなぜ戦い続けたのか?

 そもそも、合戦に敗北した死傷者の命は軽くない。彼らは氏治だけが生き残ったとして、それだけで満足するために戦うわけではない。大名が戦争を決断するにも、大名個人の資質を超えた要素に左右れる。

 氏治の判断と実力の背景には、様々な人の思いと声があったはずだ。

 この人物を掘り下げるには、その底力を支えた重臣たちに注目するべきだろう。...