【「戦国」を読む! 目次】
(1)【解説】歴史家が読み解く、本当の「陣立書」
(2)【解説】なぜ武田信玄は「前例のない陣立書」をつくったのか?
(3)【解説】戦国大名の「用兵の思想」を読み解く基礎知識
(4)【動画】約10倍の兵力差を覆した、「河越合戦」の真実を検証・解説
(5)【動画】河越合戦は、「憲政vs氏康」ではない ☜今回
・河越合戦、本当の「人」「場所」
(1)【解説】歴史家が読み解く、本当の「陣立書」
(2)【解説】なぜ武田信玄は「前例のない陣立書」をつくったのか?
(3)【解説】戦国大名の「用兵の思想」を読み解く基礎知識
(4)【動画】約10倍の兵力差を覆した、「河越合戦」の真実を検証・解説
(5)【動画】河越合戦は、「憲政vs氏康」ではない ☜今回
・河越合戦、本当の「人」「場所」
河越合戦、本当の「人」「場所」
河越合戦、あるいは河越夜戦と言われる合戦の状況を簡単に説明いたします。
河越城で北条綱重が困っていた。兵はたった3000。関東連合軍の足利晴氏、上杉憲政、上杉朝定に囲まれている。
他にも兵はいたんじゃないかと思われますけども、実際誰が参戦ししていたのかは微妙にわからない。とはいえ、この3人が首謀者だったことは間違いないと。
河越城をどのように囲んでいたのかも、諸説があって定まっていないですが、10万ぐらい囲んでいたんじゃないかと。江戸時代の軍記では大体そのように書かれています。
そうやって囲んでいるところへ援軍がやってきます。河越城を救おうと北条氏康の援軍が来ました。
その兵数もわかっていないですけども、1万はいなかったはずで、数千ぐらいの数だと言われています。
関東連合軍の諸勢と戦うことになるんですけども、たった数千の兵で数万の兵に勝てるわけがない。それを覆したのが、いわゆる「河越合戦」です──(つづきは動画へ)
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