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史料的根拠のない兵糧の略奪依存説
桶狭間合戦、関ヶ原合戦など、いまだ謎多き戦国合戦を最新研究と独自の考察で解き明かす『戦国大変 決断を迫られた武将たち』(発行:(株)日本ビジネスプレス 発売:ワニブックス)が発売中の乃至政彦。今回は『戦国大変』の話に関連させながら、本書の読者から寄せられた「戦国時代」に関する質問に答えていく。
第4回は戦国時代の兵糧問題。現在主流になりつつある、兵糧は戦場での略奪に依存していたという解釈への疑問と、戦国時代の兵糧調達の手段、現地の人々が果たした役割について乃至氏の見解を聞いた。
戦国時代の兵粮調達は本当に略奪依存か
・なぜ略奪説が主流になったのか
・戦争で儲ける人たちの存在
戦国時代とはどんな時代か?
・戦争に適応してしまった時代
・教科書では戦国時代とは表現されない
※書籍『戦国大変 決断を迫られた武将たち』及び本動画では兵粮表記を使用しています。
兵糧略奪の資料的根拠はない〈動画一部抜粋〉
読者からの質問:兵糧は現地調達と言われていますが、大部分が略奪によってまかなわれていたというのは本当でしょうか?
乃至政彦 戦国時代、兵糧は後方から支援や、現地調達によってまかなわれていた言われています。特に最近は、現地調達の比率が高かったのではないかという解釈が主流になりつつあります。
この現地調達の具体的な手段は略奪です。略奪によって兵糧や武器などの道具を揃えていたという説が広がっています。
ただ史料的な根拠はないんです。
現地にて、奪って物資を補給したっていう記録は実はありません。
ではなぜ、略奪説は出てきたのか、これには戦国時代の禁制というものが関係しています。
禁制とは、攻め込む側の大将が部下たちに対し、現地での略奪や破壊行為を禁止するものです。
離宮八幡宮がある大山崎の地において、次のことを定めます。
一つ、わが軍の人員が濫妨狼藉をすること。
一つ、布陣目的で放火すること。
一つ、山林から竹木を伐採すること。
一つ、軍資金と兵粮米を徴発すること。
一つ、先例のない制度を新たに押し付けること。
以上──。
これらのことを堅く禁止いたします。もし違反する者がいたら、すぐに厳しくその罪を問うことといたします。わかりましたね。
元亀四年(一五七三)三月 日 御朱印
(『戦国大変 決断を迫られた武将たち』p130より)
戦場となりうる現地の人々からすれば、自分たちの安全が確保されるため、とてもありがたいものとなります。
この禁制の存在によって、逆に禁制が出されていない場所は略奪し放題だった、だから略奪が当たり前だったと解釈することもできます。
さらに、禁制がどのように出されていたのかという点も注目すべきです。この点については既に研究によって明らかになっています。
禁制は、現地の村や集落の代表者、お寺や神社が、侵攻してくる軍隊の指揮官や大名に申請して禁制が出してもらっていたんです。
「禁制を出してください。その代わり物品、お金を提供します」という取引が行われていたということになります。
これらを理由に戦場になりうる現地の人たちが、略奪を防いでもらうために、高いお金を払って自分たちの安全を守ってもらっていたんだという解釈が一般化されました。
ただ私は逆だったと思うんです。
実は禁制を出してもらおうとする集落の代表や神社やお寺はどうも貧しい感じではないです。少なくともお金を差し出せるわけですから。ある程度豊かなわけです。
では、何をやっているか。実はこれは営業なんです。...続きは動画で。
(本記事は動画の一部を抜粋し再構成したものです。)
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