常陸の不死鳥と呼ばれる戦国大名・小田氏治。

 海老ヶ島合戦に敗北し、本拠地を失った氏治は、すぐにこれを取り戻すという離れ業をやってみせた。戦国史でもなかなかレアケースな事態であるが、氏治はこうしたことを幾度か繰り返したことで「不死鳥」「天庵様らしい」という評価を受けやすい。だが、これも魔法のわざではなく、ちゃんとした仕掛けがある。今回はその内実に迫ってみたい。

 結城政勝と小田氏治の会戦は、ある意味では戦国関東の天下を定める戦いでもあったのだ。

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乃至政彦
歴史家。著書に『戦国大変 決断を迫られた武将たち』『謙信越山』(SYNCHRONOUS BOOKS)、『上杉謙信の夢と野望』(KKベストセラーズ)、『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)など。書籍監修や講演活動なども行なっている。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。
 

小田氏治が短時間で小田城を取り戻した理由

 小田氏治は、海老ヶ島合戦に敗北したあと、本拠地・小田城を奪われ、その後すぐに小田城取り戻している。珍しい事例である。

 この現象を「天庵様だから」とよく知られた人物イメージで解釈するのはそれなりに面白く、世間にも通りやすい。共通言語として「小田氏治とは何度負けても再起する不死鳥のような人物だ」とする解釈が浸透している。

 負けてもすぐに立ち上がるイメージから、愛すべき最弱武将とされ、『天庵様だから』というトートロジーが歴史愛好家たちの間で共通認識となっているところがある。

 だが、このような解釈は「上杉謙信はなぜそんなに強いのか」「謙信だからさ」というようなもので、何の事実追求にもならない。

 そこで今回は、3つの観点から別の説明を試みたい。

滅ぼす必要性に欠けていた

 結城政勝は北条氏康の力を借りて、小田氏治の侵略を阻止した。そればかりか小田城の制圧にまで成功した。まずここが重要である。戦国時代というのは、天正年間まで隣接する領地の勢力を絶対的な不倶戴天の宿敵とみて完全に殲滅することは滅多になかった(もちろん皆無ではない)。...