春日山城(新潟県)にある上杉謙信像

 ビジネスパーソンにとって「過去の事例を知ることで未来を予測」できるようになることは大切だ。実際、「歴史」を学ぶ経営者も多い。

 一方で、年月を遡るほど、その情報は不確かなものになる。検証されていない歴史が「事例」として扱われることに警笛を鳴らすのが、歴史家の乃至政彦氏だ。乃至氏は、近著『謙信越山』で一次史料にもとづいた上杉謙信の真の姿をつづり、大きな評判を呼んだ。

 歴史と経営、ビジネスそして生き方。

 何がどうつながり、生かされるのか。『世界標準の経営理論』などベストセラーを刊行し、経営学の理論をわかりやすく紹介する早稲田大学の入山章栄教授とともに「歴史から得る学び」を丁寧に分解する。

 第1回は、歴史を検証する重要性と世界の捉え方を学ぶ(全4回)。

謙信の多面性が、なぜこんなにおもしろいのか

──なんでも入山先生の家系は上杉謙信(以下、謙信)に関係があるとうかがいました。

入山章栄(以下、入山) そうらしいんです。

 むかし、新潟県の保坂という町に住む父方の祖父が家系図を見せてくれて「祖先の保坂徳右衛門という方が謙信の家臣だった」と。その保坂徳右衛門がどこかで謙信を裏切って、逃げ込んだことで、その地域が保坂町と呼ばれるようになったらしいんです。

入山章栄(いりやま・あきえ)慶應義塾大学大学院修了。三菱総合研究所に入社後、2008年に米ピッツバーグ大経営大学院にてPh.D.取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクール助教授。13年より早稲田大学大学院経営管理研究科(ビジネススクール)准教授、19年より同教授

 とはいえ、地方にはこういう話がたくさんあるので、真実はわかりませんが、本当であればわたしは謙信の家臣、ただし裏切った者の末裔になります(笑)。

乃至政彦(以下、乃至) 謙信にゆかりがあるとはびっくりしました。場所から推測するに、──これは『謙信越山』に書かれている時代からずっと後の話ですが──本庄繁長という武将が近くで反乱を起こした記録がありますので、その時のゆかりの人かもしれません。

 あるいは、言い伝えは時代がずれることが多々あるので、謙信の時代は裏切らず、景勝の時代に裏切りを働いたのが、いつの間にか話が入れ替わった可能性もありそうです。謙信が亡くなった後、同地域で新発田重家という武将が上杉景勝(謙信の養子で後継者)に楯突いたことがあります。その家臣だった可能性もあると思います。

乃至政彦(ないし・まさひこ)歴史家。1974年生まれ。著書に『謙信越山』(JBpressBOOKS)、『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)、『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった』(河出書房新社)など。書籍監修や講演でも活動中

入山 たしかに、時代がずれている可能性もありますよね。次に家系図を見る時は時代と照らし合わせながら調べてみたいと思います。

──さて、今回は謙信がテーマの一つになりますが、入山先生は謙信に対してどんなイメージを持たれていましたか。

入山 わたしの謙信のイメージはごく一般的なもので、「戦(いくさ)上手」で「義将」。特に「敵に塩を送る」ほどの義の人で、将軍家を守り、平和を望んでいた人なのかなと。

 乃至先生の著書『謙信越山』を読んで良い意味で裏切られたのが、謙信の人物像の複雑さです。イメージ通りの側面はありつつ、例えば、意外と野心的なところがあって「義将」はプロパガンダだったのではないか、という考察などがそれです。人間は一面的じゃないんだなと思わされました。

 というのも、世の中の出来事も同じです。どうしても一面的に捉えてしまいがちですけど、実際は多くの場合で多面的で複雑なものです。

 例えば東芝で起きた社長退任の一件(※東芝の車谷社長兼CEOが2021年4月14日付で辞任、綱川智会長が社長兼CEOに就いた)も、かなり報道は一方的ですが、現実はそう単純じゃないですよね。わたしも色々な関係者から話を伺いましたが、一人の人間にも多面性はあるし、現実にはメディアが報じるよりもはるかに複雑な背景があるだろうと思っています。

 わたしは車谷さんとも面識があるので、違った一面も存じていますが、他にも悪い人がいたり、複雑な背景があるだろうなと思っています。

(写真:ロイター/アフロ)

 そういった意味で歴史上の人物もニュースと同じく「一面」で捉えてしまいそうになるけど、乃至先生は多面的に謙信の人間像を描かれていて、本当にそうだよなと納得しながら読ませていただきました。

歴史ノ部屋
上杉謙信と織田信長の関係に迫る新シリーズ

乃至政彦さんの書き下ろし新連載『謙信と信長』がメールに届きます。『謙信越山』以来となる待望の新シリーズは毎月1日と15日配信。

 

──歴史は現代のニュースに比べれば多面的に捉えやすそうですが、このところそうした本は少ない現実もあります。そのあたりについて乃至先生はどうお考えですか。

乃至 入山先生のお言葉に強く共感します。

 実は最近、事実の確認に力点が置かれる歴史本が増えています。これは、歴史の見直しが始まっていることに起因しています。

 以前は人物に関する資料が豊富にあって、そこから人物を語る本が多く出版されていました。しかし最近になってその資料が「作り話」だとわかってきたんです。作り話をもとにしても、それが学びにつながるかは疑問です。だから見直しが始まっている。

 このことはもちろん素晴らしいのですが、一方で「歴史に学ぶ」という素朴な欲求に対しては物足りない思いがあります。自分の経験だけでなく、より多くの歴史から知識や教訓を学ぶことが重要な体験になるからです。そして、実際にそれを求められている人のほうが多いのではないかと感じています。

 事実の見直しが進むにつれて、「歴史に学ぶ」ことに答える本、例えば人間として織田信長や武田信玄を語るものが少ない。

 資料が足りないと言ってしまえばそこまでですが、検証に使える資料は数十年前よりもはるかに整っているわけです。なので、今まで積み重なってきた資料をもとに上杉謙信という人間を考えるとどんなことが見えてくるのか検証しようじゃないか。

 『謙信越山』はそういった意図をもって書かせていただきました。

 

入山 読めば読むほど乃至先生の研究者としての誠実さが伝わってくるんですよね。

 資料を丁寧に読み解いて、その資料が信用できるのか否か、検証の部分から根拠がしっかりと書かれている。誤解を恐れずに言うと、そういう本ってつまらないことが多いんですけど(笑)、本当におもしろかったです。両立されているのが素晴らしいですよね。

乃至 恐れ入ります。

義将・謙信は何を望んでいたのか

入山 先ほど織田信長や武田信玄の名前が出てきましたが、たくさんの人気戦国武将がいる中で、乃至先生はなぜ謙信を選ばれたんですか。

乃至 入山先生が先ほどおっしゃっていた「イメージのギャップ」に惹かれたところが非常に大きいですね。

 謙信は戦国武将の中でも神話的要素がものすごく強い人です。まさに「義将」だとか、すごく正義感があったとか、それでいて「無敗」だった、など。

(写真:ロイター/アフロ)

 でも「調べていくと、実は略奪ばかりしていた悪いやつだったとか、関東に侵攻する大義名分の裏側で人狩りをやっていたと書かれた資料が出てきて、全然違うじゃないか」という声が大きくなってきた(笑)。

 もともと好きな武将だったこともありますが、この人を土台に歴史を検証していけば、なぜ実際とは対極のイメージが生まれ広がっているのか、そういったものが見えるんじゃないかと考えたんです。

入山 非常におもしろい仮説ですよね。実際に検証していく過程で色々なものが見えていったと思うのですが、結局、謙信は何を望んでいたんでしょうか。

乃至 一言で表すのは難しいですけど、「幕府を再興することで平和な時代に戻そうよ」と考えていた人物だと思います。

 当時屈指の大国である越後を持っているわけですから力はある。その力を使って世の中をより良くする選択肢が「室町幕府を再興すること」だと考えていた。

入山 謙信はかなり理想主義者ですよね。例えば北条氏(小田原)は「関東を穏やかに」、武田信玄は野心家だったと書いてありますが、当時は武将ごとに「あるべき世界」の理想は違ったと理解してよろしいですか。

乃至 はい、まさにそうです。まったく違ったでしょうし、成長の過程で変わっていく人物もいただろうと思います。

 例えば野心的なイメージのある織田信長も、最初は真面目に幕府を立てようとしていたんですね。足利義昭を将軍にして支えようと。結果的に喧嘩別れをし、その後に勢力を広げているので野心家なイメージがありますが、その前に違った一面を見せているわけです。

 ビジョンはみんな違いますし、かつ変化する。戦国時代はそこも細かく見直していかないと、見えないものがあるなと思います。

入山 単純に捉えていたものの見え方が変わってきますね。

(第2回に続く)

乃至政彦『歴史の部屋』

 

『謙信越山』の著者による歴史コンテンツ。待望の新シリーズ『謙信と信長』をメールマガジンで配信。さらに戦国時代の文献や軍記をどのように読み解いているかを紹介する音声または動画がお楽しみいただけます。

 

【内容】
1・NewsLetter『謙信と信長』(月2回)
2・『「戦国」を読む!』動画または音声配信(月1回/約10分)
不定期:「歴史対談」「リアルトークイベント」etc..


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