【新連載】―(1)はじめに
 ・はじめに
 ・ジャンヌに接近してみたい人々に
 ・ジャンヌと神の声
   ・成人となる前に聖人となったジャンヌ
 ・翻訳された一次資料を使う
オルレアンのマルトロワ広場 写真/神島真生

はじめに

 これよりジャンヌ・ダルクの人物評伝に着手する。

 実は中世日本史とジャンヌ・ダルクをテーマとする一般書として、大谷暢順の『ジャンヌ・ダルクと蓮如』(岩波新書、1996)という高著がある。

 一見して奇抜なタイトルで、警戒心を抱く人も少なくないとは思うが、記述はとても学術的である。文章が鮮やかで格調高く、それでいて我々の心に強く迫る対比的な止揚があり、名著というべき一冊となっている。未読の方はぜひ手に取ってもらいたい。

 ところで私は、日本史を介してジャンヌという人物の実像に迫る方法はまだあると考えている。

 これからの連載は、これまで以上に冒険的な筆致で進めていくつもりでいる。ただフランス史に詳しいわけではないので、もし違う意見や間違いの指摘などあれば、遠慮なくお教え願いたい。

ジャンヌに接近してみたい人々に

 ジャンヌ・ダルク(1412〜31)は15世紀の人間である。19歳の時、未成年のまま亡くなった。日本でいうと戦国前期にあたる永享の頃、足利義持や日野富子が活躍した時代、北畠顕家が亡くなってから93年後、越後に上杉謙信が生まれる99年前のことになる。

 これまで私は中世日本の歴史と向き合っているが、人間の歴史をより多角的な視点で捉えるため、国外の歴史を見る目も養いたいと考えていた。個人的にも海外史に関心が高まっていた。

 そこで、他国の歴史事件を独自に考証してみたいと考え、ジャンヌの軌跡を評伝としてまとめる仕事に着手することにした。

 ただし学のない門外漢が独自に探求したところで、専門家の劣化版になるのがオチであろう。私は学術界の研究者ではないので、先行研究の継承と発展に参加する意欲はない。作家ではないので創作的に物語を生み出す意欲もない。

 だが、歴史は「専門家以外が語ってはいけない」と言う決まりがあるわけではない。例えば、男性が女性を語りたいなら、物理科学の視点や人文学や女性学の知識などお構いなく自由に語っていいだろう。

 これと同じく、歴史もまた誰がどのように語っても許されるはずである。

 少し大袈裟にいえば、私はこれまで、非学術的、非文学的観点から、歴史を語る好例となり、自由な言論の拡大に寄与したいと考えて活動してきた。歴史家の名を称する以上、意義のある仕事をしていきたい。

 本題に移ると、日本におけるジャンヌのイメージは、古典的でテンプレート的なものが一般的である。お定まりの人物像と歴史解釈に真正面から異を唱える向きは見られない。

 彼女に関してその輪郭を知りたいなら、インターネットの電子百科事典を眺めれば大体こと足りてしまう。近年の研究に基づく人物像も、国内で店頭に並んでいる書籍に触れれば、およそのことは理解できるはずである。基礎的情報は、すでに充分行き渡っている。

 しかしジャンヌという人間と向き合いたいと思うとき、生の人間としてその謦咳に接したいと思うとき、これ以外の入り口があっていいと思う。

 彼女への想いが強い人たちは、ラテン語を学ぶ、現地に赴く、ヨーロッパの研究に触れる、加わる、と言ったことをすでに実践しておられよう。その方法は多種多様である。

 私が望むのは、こうしたジャンヌへの接近方法を広げることである。

ジャンヌと神の声

 ジャンヌは13歳の夏の日、「行いを正すよう汝を助けよう」という「神の声(voix)」を聴いた。そしてこの声を三度聞いて「天使の声」であることを知ったという。彼女がいうには、「聖女カトリーヌ(Catherine)と聖女マルグリット(Mrarguerite)の声であり、聖女たちの頭の上には立派な冠」があった。

 また「妖精の樹」と呼ばれる泉のほとりにおいて、彼女のもとに「励ましに聖ミシェ(Michel/ヴァロア王家の守護天使ミカエル)および時には聖ガブリエル」が「肉体の形をとって現れた」のを、ジャンヌは「自身の眼」で見たという。ジャンヌはここで時々「妖精達を崇め、妖精達に礼拝を行って」いた。

 この話はジャンヌ自身が発した言葉として、一次史料の「処刑裁判(Procèsde Condamnation)」に記されている。

 この神の声、天使の声、その姿について、ジャンヌの証言をどう受け止めるかは議論があるものの、虚言であるとは評価されていない。彼女は真剣に、事実として述べたのだろう。

 中には精神病者(私見の範囲で、幻聴と幻視を伴う「統合失語症」「神的狂気」「側頭葉てんかん」とする医学的評価がある)だったとする主張もあるが、納得のいく説明を見たことがない。

 そもそもジャンヌの生涯において、不意の発作や情緒の不安定な様子(異性装をして戦場を駆け巡り、指揮官として動いたことは当時の社会的において異常だが、日常生活への支障はない。精神的に健康といえるだろう)は見られず、また一次史料である異端裁判の記録を見ても、その答弁は論理的で、自他から心身ともに健全であることが認められており、狂信的なところがない。

 精神的に健康の人でなかったら、精神病の実父のために落ちぶれていた王太子のシャルル(即位後はシャルル七世)も、彼女に希望を見出そうとはしなかっただろう。そうなれば当然、王太子シャルルがランスで戴冠して、フランスの王に即位することもありえなかったはずである。

 異端審問の尋問者は、彼女に悪質な質問を繰り返した。するとジャンヌは文字の読み書きもできない無学な少女でありながら、明晰な思考で慎重に答弁した。

 いずれの応答も鮮やかで、ジャンヌに批判的であるはずの列席者たちも当意即妙の応答に「非常に驚いて」尋問をすぐに終わらせることがあるほどだった。

成人となる前に聖人となったジャンヌ

 本稿をフランス人が読むことはないだろうから、せっかくなので日本人の日本人による日本人のためのジャンヌの読み物を目指すことにしよう。

 彼女が歴史による名誉回復や自己救済を求めていた様子はなく、カトリックにおける列聖化や、本国フランスで寄せられる崇敬も、彼女自身が予期したり希望したりしたことではない。

 したがって異国の地で異教の民間人が何を試みようと、彼女の魂に障りなどないであろう。ゆえに私は遠慮なく思索していく。

 ここにひとつ、想像する。

 もし彼女が捕虜とならず、もちろん異端審問も受けず、パリ解放後、国土で無事に成人して世俗の栄華に浸っていたら、どうなっていたであろうか。

 歴史の上では、男装した謎の乙女が敵軍に囲まれる都市の救出に貢献した伝説が残されただろう。また武功によって貴族に叙せられた物珍しい女性の一例として、その後の男女史にいくばくかの影響を与えたかもしれない。

 仮にそのような人生に終わっていたら、後世の目がジャンヌの個性や精神まで向けられることはなかっただろう。彼女自身は富貴な人生を謳歌したかもしれない。不本意な恋愛沙汰に巻き込まれて汚名を残したかもしれない。年を重ねて老獪な政治家となり、自身を魔女と恐れる人々を笑い飛ばしていたかもしれない。

 あるいは兄たちの出世を喜びながら、故郷に帰って慎ましい生活を送ったかもしれない。

 しかし、そうはならなかった。成人となる前に、無限の可能性を秘めた未来を絶たれてしまったからである。今や彼女は聖人に列せられた。

 その人生には謎が多い。彼女の生き方に異教徒である我々は(そうではない方も)何を見るべきであろうか。

翻訳された一次史料を使う

 この連載では、複数の翻訳史料を扱う。主要な史料は、高山一彦氏の翻訳を使うが、超訳を要すると思う場合には断りを入れた上でそうさせていただく。

 私はフランス語のみならず、当時の書き言葉であるラテン語も読むことができない。戦国時代の歴史学者は重要史料である宣教師のラテン語文献を原文で読むことなく、翻訳者の解釈を信頼して使用している(もちろん翻訳に疑問を抱く学者は、自らラテン語を学習して読み直す)。日本語で書かれた古文書の多くも、活字化された資料集を使うのが通例である。そして幸いにもジャンヌに関する基礎文献(原則として一次史料を優先する。二次史料も懐疑的に使用する)は、多くが日本語に翻訳されている。

 したがって、ここでは日本語の文献をもって、ジャンヌの人生とその時代を追跡し、思いを巡らせていくことにする。

◉本連載において、一次史料として扱う文献の筆頭は、『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』である。同書からの引用は、高山一彦氏の翻訳(白水社)を使う。ついで『ジャンヌ・ダルク復権裁判』(同氏訳、白水社)および『パリの住人の日記』(堀越孝一訳、八坂書房)も取り扱っていく。

次回以降の連載「ジャンヌ・ダルクまたは聖女の行進」は「歴史ノ部屋」でお読みいただけます。(次回は4月18日配信予定です)

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現在は『ジャンヌ・ダルクまたは聖者』を連載中、『謙信と信長』(全36回)『光秀の武略に学ぶ』(全8回)など長編もお読みいただけます。

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