桶狭間合戦、関ヶ原合戦など、いまだ謎多き戦国合戦を最新研究と独自の考察で解き明かす『戦国大変 決断を迫られた武将たち』(発行:(株)日本ビジネスプレス 発売:ワニブックス)が発売中の乃至政彦氏。連載中の「ジャンヌ・ダルクまたは聖女の行進」、今回はオルレアン市民の抵抗とリッシュモンについて。
(2)序章 ジャンヌ・ダルクと平将門①
(3)序章 ジャンヌ・ダルクと平将門②
(4)第一章 村娘の冒険①
(5)第一章 村娘の冒険②
(6)百年戦争とフランス王国の分裂
(7)ブルゴーニュ派とアルマニャック派とイングランド
(8)シャルル7世の義母ヨランド
(9)リッシュモンの活躍
(10)オルレアンの抵抗
・オルレアンの防衛とリッシュモン
・オルレアン市民の抵抗
・リッシュモンの煩悶
・遠く離れたドンレミ村にて
オルレアンの防衛とリッシュモン
イングランド軍を率いるモンタキュートは先陣を切って、オルレアン周辺を着々と制圧し、これを孤立せしめた。
かくして1428年10月12日、オルレアン包囲戦が開始される。
オルレアンを守備するのはイングランド軍の捕虜となっている公爵の異母弟だが、使命感の強い男であった。それに市民の心をよく摑んでいた。兵力差は絶望的だが、市民もイングランドの暴虐に屈するつもりなどなかった。
オルレアンの町はいざという時のために構えを固めていた。「ロワールの北の方で壕と城壁によって弓形を成しており、防禦力のためのオーギュスタン、トゥーレル及びサンタントワーヌの城砦のある左岸と十九の矯弧を持った橋で繋がって」おり、確たる防衛力を誇っていた(大谷暢順訳:ジャン=ポール・エチュヴェリー『百年戦争とリッシュモン大元帥』)。
イングランド軍のソールズベリーは、左岸から砲弾を撃ち込ませた。
大砲の火力は、大坂の陣を見ての通り、最強の要塞を容易く揺るがせる。それでも、オルレアンの抵抗は強く、イングランド軍の攻撃を懸命に跳ね除けた。
オルレアン市民の抵抗
21日、イングランド軍は力づくの強攻を仕掛けた。ところが手痛い反撃を喰らった。
ハシゴを使って城兵を登ろうとする兵たちを災難が襲う。女性たちが用意した熱湯・熱油・石炭・焼き炭をどっと浴びせられたのだ。
イングランド軍の襲撃は無惨な犠牲を払って失敗した。城壁の内側では、女性たちが兵たちに酒・肉・果物・酢を与えて、その敢闘を支えた。
この戦いは兵たちだけではなく、オルレアン市民も積極協力していたのである。
オルレアン公爵を監禁しておいて、不在の町を攻撃するというイングランド軍の不義が彼らを奮い立たせたであろう。市民の怒りが、用意周到に築かれている物理的な防御をより堅固なものとする。
大切な仲間たちを死傷されたイングランド軍は、「町が占領できたら、男といわず、女といわず、一人残らず皆殺しにしてやる」と息巻いた。
こうしたオルレアン官民一体の勇気と奮闘は、フランス中に広く伝搬することになる。
まず、フランス中に点在するシャルル7世陣営の戦意を高揚させた。リッシュモンも元帥に復職したいと願い出るほどだったが、シャルル7世の宮廷はこれを黙殺した。
リッシュモンの煩悶
リッシュモンは、憂国の念で身を焦がす思いでいたように評されている。こんな大事な局面で王国の役に立てないどころか、お前は不要だとばかりに、全ての申し出に何の返事もなされない。もどかしいばかりであっただろうと推測されている。
名将たる人物が活躍の場を奪われる悲劇を、日本人がよく知っている例に求めれば、朝鮮における李舜臣が思い当たろうか。李舜臣は、日本から攻め込んでくる豊臣軍に水軍で大いに活躍したが、行き過ぎた独断専行を咎められ、戦争中であるにもかかわらず、投獄された。...