桶狭間合戦、関ヶ原合戦など、いまだ謎多き戦国合戦を最新研究と独自の考察で解き明かす『戦国大変 決断を迫られた武将たち』(発行:(株)日本ビジネスプレス 発売:ワニブックス)が発売中の乃至政彦氏。連載中の「ジャンヌ・ダルクまたは聖女の行進」、今回は「ジャンヌ・ダルク傀儡説」について。
ボードリクールへの2度目の直訴のため、ふたたびヴォークルール
(2)序章 ジャンヌ・ダルクと平将門①
(3)序章 ジャンヌ・ダルクと平将門②
(4)第一章 村娘の冒険①
(5)第一章 村娘の冒険②
(6)百年戦争とフランス王国の分裂
(7)ブルゴーニュ派とアルマニャック派とイングランド
(8)シャルル7世の義母ヨランド
(9)リッシュモンの活躍
(10)オルレアンの抵抗
(11)1412年、祭日の夜に生まれたジャンヌ
(12)ドンレミ村で孤立するジャンヌの父
(13)ドンレミ村を出た子供
(14)司令官への訴えはジャンヌの実母が主導した
(15)ジャンヌ・ダルク傀儡説の真偽
・2度目の直訴
・「声」が創作された可能性
・ヴォークルールに踏み止まる
・ジャンヌ・ダルク傀儡説
・重なる思惑
2度目の直訴
ジャンヌは再びボードリクールに直訴しようと、改めて、ドンレミ村を発った。
17歳の少女は、これっきり2度とこの村に戻ることはなかった。もちろんそんなことは想像だにしていない。
2度目の直訴にも叔父デュラル・ラクサールが同行していた。1429年2月13日「僧服の日曜日」頃のことである(第Ⅱ部「ドンレミからシノンへ」/『幻想のジャンヌ・ダルク』)。
ジャンヌ一行の目的は、明確にわかっていない。
通説によると、ジャンヌは「声」によってボードリクールに面談を求めたとされている。
その論拠となるのは、ラクサールとジャンヌ本人の証言である。
復権裁判時における叔父ラクサールの証言によると、ジャンヌが「自分はフランスに行き、王太子様の許に赴いて王太子様を戴冠させたいのです」と主張して、これに同行したことにされている。
また、ジャンヌ自身も処刑裁判において「声は、自分、ジャンヌがヴォークールールの町の城に赴いて守備隊長をしているロベール・ド・ボードリクールに会うことを命じ、隊長は自分と同行してくれる従者を与えてくれるだろうと告げた」と証言している。
ここから後年の認識では、ジャンヌの行動は「声」に従ってということにされているが、本当にそうだったかは再検討の余地があるのではなかろうか。
「声」が創作された可能性
ジャンヌが「声」に動かされたというのは、2度目の旅立ち以前には、おそらく影も形もなかった。ジャンヌ自身がそのような体験を実際にしていたかどうかも疑ってみるべきだと思う。
少なくとも2度目の直訴に出向いた時は、父親の合意を得ていただろう。ジャンヌの旅立ちに、彼女より父親は強く反対したが、思うに初めのことだけで、すでに一度、叔父たちとヴォークルールまで出向すという既成事実があったあとで、しかも今回は村が兵隊くずれ共に襲撃されてしまったあとである。
そして父親が反対しない相当の理由もあったはずだ。それは、ボードリクール司令官に守ってもらえなかったことへの抗議と、ドンレミ村の救済である。
ジャンヌ一行は、“兵隊くずれ共を駆除して、速やかに家畜を奪い返してもらいたい”と伝えに向かったと考えるのが妥当であろう。
ドンレミ村を領する女貴族は、いつの時か不明ながらこのあと、軍勢に命令を下して暴徒への報復を実現(家畜の奪還と、兵隊くずれの首領殺害の実行)していることから、現地からの強い要請があったと推定するのが適切である。
そしてその要請は、普通に考えて、何年も経過してからということはありえず、事件直後のことであるだろう。特に家畜は速やかに奪い返さなければ、村の生業が成り立たなくなる。ジャンヌ自身も「父親と一緒に畑を耕したり、家事に精出したり、時には家畜の番もして」おり、村の生活は家畜と密接にあった(復権裁判時の村人イザベレットの証言)。
ジャンヌの旅立ちは家族だけでなく、村全体の総意があって実行に至ったと考えられる。
もし仮にジャンヌが「声」の命令で行動したがっていたとすれば、彼女の耳に入らないわけがない。
それどころかその使者に同行を申し出ようとするはずである。だが、この前後にドンレミ村からの使者がボードリクールを訪ねた様子はない。
そうすると、今回のジャンヌ一行というのは実のところ、ジャンヌ個人の思いが主体ではなく、ドンレミ村が主体だったのではなかろうか。あるいは前回と同様に、母親イザベルや叔父ラクサールが主体であっただろう。
その訴えは、やはり家畜の奪還と兵隊くずれの討伐にあった。だが、ボードリクールは即答を避けて、ジャンヌ一行、もといラクサール一行を城下町に留まらせた。
ヴォークルールに踏み止まる
記録の上では、ボードリクールはまたしてもジャンヌを無碍に追い払ったとされている。
だが、これもどこまで事実であるだろうか。...