桶狭間合戦、関ヶ原合戦など、いまだ謎多き戦国合戦を最新研究と独自の考察で解き明かす『戦国大変 決断を迫られた武将たち』(発行:(株)日本ビジネスプレス 発売:ワニブックス)が発売中の乃至政彦氏。連載中の「ジャンヌ・ダルクまたは聖女の行進」、今回はジャンヌの進発について。
シノンではジャンヌの審査が進められる中、援軍の準備が整えてら
(2)序章 ジャンヌ・ダルクと平将門①
(3)序章 ジャンヌ・ダルクと平将門②
(4)第一章 村娘の冒険①
(5)第一章 村娘の冒険②
(6)百年戦争とフランス王国の分裂
(7)ブルゴーニュ派とアルマニャック派とイングランド
(8)シャルル7世の義母ヨランド
(9)リッシュモンの活躍
(10)オルレアンの抵抗
(11)1412年、祭日の夜に生まれたジャンヌ
(12)ドンレミ村で孤立するジャンヌの父
(13)ドンレミ村を出た子供
(14)司令官への訴えはジャンヌの実母が主導した
(15)ジャンヌ・ダルク傀儡説の真偽
(16)人工聖女を創出した人々
(17)シノン騎行の若き護衛たちと男装の村娘
(18)人工聖女とシノンの王太子
(19)オルレアン籠城戦とニシン合戦
(20)ジャンヌの進発
・シノンからの進発
・ジャンヌ状の内容
・士気の揚げ方
シノンからの進発
ジャンヌは、「聖女カトリーヌの教会で発見された」剣を気に入っていた。しかし剣には特別な儀式を施すことなく、一般兵士が普通の武器を帯びるようにこれを携えていた。
彼女がこの剣を抜いて戦うことは一度もなかった。自身の証言によると、「剣より旗の方が四〇倍も好きだった」といい、「敵を襲う場合は、人を殺すのを避けるために自分で旗を持った」のだという。そして「また実際に誰も殺したことはない」と明言している。剣はあくまでも指揮具、装飾のひとつとして所持することにしたのだ。
彼女が戦場で振り回した三角状の「旗」は、絵描き職人がトゥール貨幣25リーブルで、「天地を手に載せた我が主がかたどられていて、傍に天使」を描いたものである。25リーブルは、現代日本だと新卒の初任手取りぐらいになるだろう。
ちなみに彼女の甲冑(18〜20キログラムほどの重さ)も専用の特注品で、これを製作した職人ジラ・ド・モンバゾン(トゥールのルベール街に住んでいたと見られる)は、トゥール貨幣100リーブルの報酬を得ている。現代日本で70万円ほどになろう。
装備一式が整えられるのと別に、兵も集められていた。
ジャンヌがいうには、王太子シャルル7世からに「一万乃至一万二千の兵士」を与えられたという(高山一彦氏は、実数を「せいぜい二、三千と考えられている」と試算する)。
兵たちはジャンヌがポワティエで審査を受けている間、王命によって集められたようである。
3月22日、ポワティエの審理はまだ継続していたが、ジャンヌは開戦準備としてポワティエからイングランド陣営に、口述筆記による「和平」を勧告する警告の書簡を送らせた。
その宛先は、「フランス国王摂政を称するベッドフォード公」(ジョン・オブ・ランカスター。パリにいて作戦全体の総指揮を執っていた)と「サフォーク伯ウイリアム・ポール」(オルレアン攻囲の現場責任者)と「ジョン・タルボット」(イングランドの武将)、「およびベッドフォード公副官と称するトーマス」(ランカスター副官)で、イングランド側にすれば、これが「天国の王である神から遣わされた乙女」と称する不気味な女性とのファーストコンタクトであった(『処刑裁判』)。
ジャンヌ状の内容
この書簡はジャンヌの生涯随一の長文で、彼らに「フランスにおいて占領・掠奪した町々」の支配権を返却し、「その代償を支払い、乙女の意にかなうなら」、すぐにでも和平に応じるという高圧的な主張から始まる。...