桶狭間合戦、関ヶ原合戦など、いまだ謎多き戦国合戦を最新研究と独自の考察で解き明かす『戦国大変 決断を迫られた武将たち』(発行:(株)日本ビジネスプレス 発売:ワニブックス)​が発売中の乃至政彦氏。連載中の「ジャンヌ・ダルクまたは聖女の行進」、今回は、シャルル7世の王位戴冠​について。

ジャンヌ・ダルク率いるフランス王国軍はランスに入り、すぐさま戴冠式のスケジュールを組み始めた。式典には貴族と聖職者と民衆が呼び集められ、ジャンヌも騎士たちとともに会場たる教会に参席した。5時間に渡る儀式は盛会を迎える。このときジャンヌも旗を手にしたという伝承があるが、これは果たして事実だったろうか?

ランスのノートルダム大聖堂を後方から 写真/神島真生

ランスの栄光

 1429年7月17日朝、4人の騎士がサン・レミ大修道院まで聖なる油を受け取りに向かった。聖別に使う油には、この大修道院の聖なる油を一滴使う伝統があったためである。

 4人の騎士には、ブーラック元帥、キュラン提督、弩隊長のグラヴィルとジル・ド・レが選ばれた。

 彼らが教会を出ると、高位の聖職者、教会の賛辞会員らが長い行列でこれを見送る。

 一連の儀式は、ランスのノートルダム大聖堂で挙行された。シャルル王太子が宣誓する。テ・デウムの聖なる祝儀の歌が歌われ、ランス大司教ルニョー・ド・シャルトルが聖なる油を注ぎ、祭壇の前まで進んだ王太子に印を施す。

 俗人6人と聖職者6人が同朋衆として王太子を玉座へと案内し、その頭に王冠が被せられる。絵画的なシーンとともにフランス国王シャルル7世がここに誕生した。

 場内には多くの隊長たちの旗が掲げられていたが、その中にジャンルが戦場で使っていた旗も、ほかの旗よりながく祭壇近くに掲げられた。聖女たちが「怖れることなくこの旗を持て、そうすれば神は汝を援けるであろう」と伝えて作らせた天使の旗である(『処刑裁判』3月17日条)。

 旗の設置を手配したのはジャンヌではなく、聖職者であったようで、儀式中ジャンヌはほんの短時間これを手にしただけであった。彼女はこの名誉ある情景を詳しく記憶しておらず、儀式中どこにいたのかは不明である。

 王位戴冠が確認されると、「万歳(ノエル)」の歓声が上がった。ラッパが高らかに鳴り響く。

 ついにフランスの理想が実現したのだ。

 ただし、正当な儀式に使う王冠や王笏は遥か西方のイングランド勢力圏のサン・ドニにあって、この戴冠式で使われたのは代用品であった。

 それでもここに屈辱的なトロワ条約は正式に破棄され、中立的な諸侯もシャルルを王太子ではなく、国王と呼ばざるを得ない既成事実が確立した。

 フランスの歴史はこの瞬間、永遠のものとなることが約束されたといえよう。

ジャンヌの位置

大聖堂に向かうジャンヌ像

 この時の様子を『オルレアン籠城日記』では、儀式中、ジャンヌが高らかに旗を捧げ持っていたと伝えられている。戴冠式を描く絵画作品もこの記述をもとにして作画している。...