「歴史ノ部屋」でしか読めない、戦国にまつわるウラ話。今回は映画『首』における時代考証について。
 
 Netflixで北野武映画『首』のインターネット配信が始まった。戦国時代の映像作品としては久しぶりの大作として注目を集めた本作は、時代考証的におかしいところがたくさんある。

 乃至政彦氏は、『首』と史実の違いを論じながら、「作品の中身は、史実と比べて正しいどうかではなく、その面白さで評価すべきだ」と主張する。

沢瀉紋

新作の戦国映画

 私は初代ウルトラマンが好きなので、これに因む新作映画『ultraman rising』を視聴したいと思ってNetflixに契約した。この作品については、特に感想はない。このついでに他に見るべき独占配信作品はないかと検索したととろ、北野武監督の映画『首』(2023)を見つけた。

 北野作品のうち『その男、凶暴につき』と『キッズリターン』は何度か視聴を繰り返しているが、ほかの作品は個人的に物足りず、積極的には触れてこなかった。だが今回は戦国時代が舞台であることから、一度は観ておかねばと考えていたので、ちょうどいいと思った。

 今回はこの作品の一部時代考証について述べてみたい。

許せない時代描写

 映像作品の時代考証については、大河ドラマを中心に様々に議論されている。だいたいの議論はどこまで史実通りか、どこまでの創作なら許せるかが中心にある。

 私もこの点には関心があり、たとえば歴史ドラマでは、男性同士が性的に交わる関係がよく出てくる。『首』も予想通りそうした描写が露骨に描かれている。

 少しだけネタバレをすると、明智光秀と荒木村重がそういう関係にある。この作品の信長もこの手の趣味が強いらしい。ビートたけし演じる秀吉は、「どうも根が百姓だから」、そういう「仲が私にはさっぱりわかりません」と敬遠していた。

 私は自分で調べたので細かい問題を突っ込めるが、今回これらの描写で不快に思うことはなにもなかった。

 ただ、大河ドラマでは不快に思うときがある。

 平安時代を舞台にする作品にありがちだが、貴族の同性愛の習俗を描こうとして、実際にはそのような形跡のない人物を同性愛関係にしてしまうのが苦手である。

 わかってくれる人も少なくないと思うが、「史実のそういう人物を描くならいいが、なんでこんな創作をするのだ」と強い抵抗感を覚えてしまうのだ。

許せる時代描写

 しかし、『首』の村重と光秀や織田信長と森蘭丸の関係は、なぜか「あ〜あ、派手にいやらしくやっちゃってるなぁ」と許せてしまう。...