常陸の不死鳥と呼ばれる戦国大名・小田氏治。

 連戦連敗のデータをベースに 「戦国最弱」と呼ばれることも多く、あまり有能ではないイメージが定着しつつある。だが、本当に弱い武将が何度も大きな合戦にチャレンジできるのだろうか……?

「小田氏治の合戦」をテーマにその実像に迫りなおしていく連載。今回は「山王堂合戦」について。

 永禄7年(1564)4月に上杉謙信と小田氏治が戦ったとされる山王堂合戦は実際にあったのか? 現地と史料に取材した乃至政彦が謙信と氏治の戦績を問い直す。

『戦国の不死鳥 小田氏治』
(1小田氏治は「讃岐守」だったのか?
(2)武によって生き延びた父・小田政治の死
(3)上杉謙信と激闘した山王堂合戦(前編)
・宇田氏治と上杉謙信の有名な野戦
・通説の山王堂合戦
・通説はどうして生まれたのか
春日山城の上杉謙信像

小田氏治と上杉謙信の有名な野戦

 常陸国小田15代の小田氏治(1531?〜1601)は、戦国最強の武将と堂々野戦を展開して、大敗北したといわれている。その武将とは、誰あろう越後の上杉謙信である。

 小丸俊雄(こまるとしお)『小田氏十五代 下巻』(崙書房、1979)がこの戦いを永禄7年(1564)4月のこととして詳述しており、インターネットの百科事典も、これを「山王堂(さんのうどう)の戦い」として紹介している。

 ただし、この合戦は一次史料には全く記録がない。

通説の山王堂合戦

 常陸山王堂合戦は、次のように説明されるのが一般的だ。...