「歴史ノ部屋」でしか読めない、戦国にまつわるウラ話。今回は上杉景勝について。上杉謙信時代の上杉景勝は、少年期より謙信に政治的な意思表示を明確にしており、それは上杉家中にも周知されている事実であった。これを従来見落とされがちだった一次史料から明らかにする。

上杉景勝

上杉景勝の人物を考える

 12月7日に岐阜関ケ原古戦場記念館で、「謙信の戦略と上杉景勝」の講演をさせていただいた。満員御礼。

 そこでこれまでにない話をさせてもらったので、こちらに一部紹介しておきたい。

 テーマは、関ヶ原合戦における最重要キーパーソンである上杉景勝の思考法である。哲学者ニーチェや画家ゴッホの最期を考えるのにその1〜2年のことを追いかけるだけで見えることは限られている。そのため、思想家や芸術家は人物研究が人気で盛んであるように思われる。

 私は、景勝もまた関ヶ原直前までの動向だけでなく、そこに至るまでの人生や思考の経緯を追うことを重要視したいと考える。

 そこで今回は、謙信時代の景勝がどのような政治的思考をしていたかに光を当てた。結論から先にいうと、景勝は足利幕府の復興に強い関心があり、足利義昭の将軍就任とその政権確立に積極的であった。

謙信時代の上杉景勝関連文書を見ていく

 上杉謙信(一五三〇〜七八)時代の上杉景勝ついては、血縁関係や後継者としての位置付けが注目されるがちだが、義父・謙信との意思疎通の程度が詳らかではない。

 当時の文書を見る限り、少なくとも謙信は景勝個人への強い情愛と期待感を示しているが、景勝から謙信へのリアクションが見出されておらず、謙信にどのような印象を抱いていたのか、そして謙信にどういう意思表示をしていたのかが明らかにされていない。

 ここでまず足利義昭から景勝に当てられた文書を見てみよう。...