桶狭間合戦、関ヶ原合戦など、いまだ謎多き戦国合戦を最新研究と独自の考察で解き明かす『戦国大変 決断を迫られた武将たち』(発行:(株)日本ビジネスプレス 発売:ワニブックス)​が発売中の乃至政彦氏。連載中の「ジャンヌ・ダルクまたは聖女の行進」、今回はジャンヌから少し離れ、当時のフランスの状況がいかに複雑だったかを説明する。

(1)はじめに
(2)序章 ジャンヌ・ダルクと平将門①

(3)序章 ジャンヌ・ダルクと平将門②
(4)第一章 村娘の冒険①
(5)第一章 村娘の冒険②
(6)百年戦争とフランス王国の分裂
   ・百年戦争とフランス
   ・戦国大名=国王、国人領主=封建領主
   ・シャルル6世の病死
   ・イングランド王とフランス王の連続死
歴代フランス王家が埋葬されている墓地のあるサン・ドニ聖堂 写真/神島真生(以下同)

百年戦争とフランス

 これまで章立てで説明を進めていたが、長期連載を進めるにあたり不都合もあると考えたので、ここからは「第○回」の形で改めたい。

 ここで当時のフランスの情勢を簡単に説明しておこう。

 1337年から1453年までフランスとイングランドは長年の戦争を続けていた。この戦いを「百年戦争」という。

 ここで身構える人もおられると思うが、難しく考える必要はない。

 読者のうちには日本史の戦国時代に関心のある方も多いと思うが、その始まりから理解されたとして「応仁の乱」の内実から説明されても頭がこんがらがってしまうだろう。そうすると何がなんだかさっぱりわからなくなる。

 いや、これとあれは重要なので説明が必要だという声もあろうが、この連載は学問の講義ではない。

 そもそも百年戦争のことをフランス人やイギリス人の大半がよくわかっているとは思えない。我々とて中世の歴史に精通しているわけではないのだから、精緻な説明は専門家に任せ、ここでは本論を読みやすくする最低限の情報だけ伝えていこう。

 百年戦争時代のフランスは、フランスという統一国家があったというより、群雄割拠の戦国日本みたいな状況で、対外戦争をしていたと考えるとわかりやすい。

 戦国時代の日本は、無数の城主とそれに仕える武士がいた。そして彼らを保護する大名がいた。

戦国大名=国王、国人領主=封建領主

 大名は城主たち国人領主を守る義務がある。公的に所領を安堵し、場合によっては新たな知行(領土)を分け与える。その代わり城主たちには大名への奉仕義務がある。

 もし大名の保護下にある城主が、何者かの侵攻で安全保障を脅かされたら、大名はほかの城主たちに号令してその援護に駆けつける。城主たちは大名の軍勢催促に原則に応じて大軍を構成する。

 戦争は動員力でほぼ決定されるから、できるだけ多くの城主を集められる大名が有利である。大義と人望のある大名に城主は忠誠を尽くす。大名は期待に応える。

 こういう互助の関係体制が戦国大名の権力を成り立たせていた。

 ヨーロッパの場合、これに似た形で「封建制度」が成り立っていた。大名ならぬ王様が領主たちを保護する、領主たちも王様の声に従って軍事力を提供する。

 その関係は絶対ではなく、城主たちが「この大名はダメだ」と思ったら裏切りや下克上をするように、封建領主たちも「この王様はなぁ」と思ったら、鞍替えする。

 一応というべきか、その王様がいた。

 現在のフランス地域を中心に領土を増減させてきたヴァロワ朝フランス王シャルル6世である。

 その王様は、1422年に53歳で死亡した。

シャルル6世の病死

 シャルル6世の後継者は本来なら、長男のシャルル7世がなるはずだった。...