フランスとイギリスの戦い
将門に神の声を伝えた巫女(昌伎)と、ジャンヌ・ダルクは同種の存在である。
これはつまり、どういうことか?
まず簡単に当時のフランスの情勢を見てみよう。
その国土は約半分ほどをイギリス軍の侵攻に奪われ、滅亡の危機に瀕していた。いまはオルレアンという城塞都市が包囲され、ここが陥落すれば、イギリス軍の優位は決定的になってしまう。
そうなったらイギリス軍は無人の野をいくがごとく、国土を蹂躙するに違いない。民衆も戦争被害に長く苦しめられ、疲れ果てていた。フランス内部でも、王家に向かってイギリス側と和睦して十字軍を復活させ、トルコを攻める方が建設的ではないかと提案する預言者が何人も現れていた。
どうあれこの状況を打開したいという想いは、民衆の一致するところであった。一介の村娘であるジャネット──のちのジャンヌ(当時は「自分は故郷ではジャネットと呼ばれていた」という)──も平和を願っていたに違いない。だが、救世主はどこにもいなかった。
ある時、不思議な声がジャンヌの耳に聴こえはじめる。「神の声」であった。神の声は「お前はオルレアンの包囲を解除するであろう」と告げて、ジャンヌに覚悟を迫ったのだ。こうしてジャンヌは本来ならフランスの王となるべき王太子シャルルに、決起してもらおうと動き始めたのである。
なお、今のフランス国王は、イギリス国王が兼任していた。この状況を事実として受け入れ難い人々は、この兼任を僭称だったことにするべく、王太子シャルルにフランス王となることを期待していた。
それには、まずイギリス軍が包囲中するオルレアンを救出することこそ急務である。オルレアン解放には軍事力を行使するほかなく、それができるのは王太子シャルルだけだった。フランスの人士と資金をどこでいつ使うのか、これを決断することができる人物は、他にいなかったからである。
百年戦争の中に現れた「神の声」
ジャンヌがまだ普通の村娘であった頃、故郷のドン・レミ村も、長年続くイギリス軍(およびイギリス陣営)の侵攻で、たびたび戦禍に見舞われていた。
国境い方面にあった辺境の村であるから、前線で負傷した兵士が運ばれてくることもあった。
このままでは村が望まない為政者の支配下に置かれてしまうことになるだろう。そこでジャンヌは、「神の声」を根拠に思い立つのである。自分たちの思いを自分たちの王たるべき人に伝えるのだ。
この使命感がジャンヌを動かした。そしてフランス南部のブールジュで逼塞する王太子シャルルに、オルレアンを解放してランスで戴冠する「神の声」を伝えた。
これを見て、将門に神託を告げた巫女の姿が彼女と重なるであろう。複雑な政治によって押し付けられる不当な王(為政者)より、自分たちで選んだ王の統治を望む無学な民衆のうちから、「神の声」という形を通して、決起を求めたのである。
しかもジャンヌのような「預言者」は彼女ひとりではなかった。一三五〇〜一四五〇年(ジャンヌの活動時期は一四二八〜三〇年)の一〇〇年間のうちにフランス王家のもとに「数人の男の預言者と、それよりもずっと多くの女の預言者」が、求められてもいないのに、自発的かつ継続的に「みずからの考えを表明しにやって」きていた(コレット・ボーヌ『幻想のジャンヌ・ダルク』昭和堂、二〇一四)。ジャンヌもそのうちの一人である。
コレット・ボーヌによると、大きな疫病と教会大分裂により、伝統的権威に支えられていたキリスト教の教会組織は著しく減退しており、民間の預言者たちが活発に動く時代となっていた。
そのうち女性の預言者は、未婚の娘か未亡人ばかりであった。ボーヌはここに古代からの巫女の系譜を見出している。
ただ、フランス王家も民間の預言者をいちいち相手にはしていられない。早くから預言者たちの意見を積極的には求めないようにしていた。それでも預言者の声は後を絶たなかった。
ジャンヌの時代には、彼女のほか「女性四人と男性二人」の預言者がいたと証言されている(ボーヌ前傾書)。
民間の声が高まっていたという点で、平将門の時代とこの時代のフランスは共通している。なぜなら将門は民意の声を代弁する巫女の言葉に持ち上げられて、新皇への即位を宣言したのである。その場に居合わせていた兵たちは喜びに湧き立ち、集まっていた人々も伏して拝した。
将門が関東の民のために立つと決意表明したのと同じ決断が王太子シャルルに求められていたのである。
平将門とジャンヌ
将門は、鋼鉄の武人である。
当時は横暴な権力者が幅を利かせていた。民衆はこの状態に辟易していた。爆発寸前であった。ゆえに将門の戦いは、大勢の人々に支持されたのである。将門の振る舞いを是認する現地豪族たちの中には、朝廷にその善行を説明する文書(諸国の善状)を連署で送りつける動きもあった。
そこに昌伎──女性の預言者──が神託を告げる。将門は新皇を名乗る。
初期のジャンヌの役割は、背景社会や翻訳の問題からかボーヌ以外に指摘されていないが、よりわかりやすい表現で見直すなら、将門の前に現れた昌伎すなわち巫女である。
将門に神託を告げた巫女は、ジャンヌと似たような環境と心理に置かれていた。関東の無学な巫女は、自分たち民衆の思いを聞いてくれる為政者を求めていた。しかし民衆の願いをどうしていいのかわからない。
そこに高い声望を集める戦争指導者が現れた。
かくして巫女は民意を代弁するべく、神の声として、望みの人に思いの丈を口走った。
ジャンヌもこれである。ただし一神教の世界に巫女は存在しえないので、バックボーンとなる共同体(日本なら神社とその人員がある)の影は薄く、ゆえに「預言者」(神の言葉を預かる者)と呼ばれるが、神寄せ、口寄せという点で同質である。
ジャンヌこそは、将門なき平安関東に現れたこの昌伎であった。国司ならぬイングランド軍に席巻されゆくフランス国土の絶望があった。これを悲嘆する民衆があった。
ゆえに聖俗両面の正義を信じるジャンヌは、巫女となり、公的な正規軍となるであろうフランス軍の陣営に接近して、その実力行使を求めた。
だが、王太子シャルルは日本の将門と違っていて、戦場を駆け巡る人ではなかった。鋼鉄に身を包む将軍の役を好まなかった。新皇即位当時、三〇前後で歴戦の武人であった将門と違い、シャルルは四〇代半ばの初老であった。前線に立つにはリスクが高い。
そこで騎士たちから武装と乗馬の基礎を教えられていたジャンヌその人に、鋼鉄の武具が貸与された。
シャルル王太子たちは、民意たるジャンヌを預言者として受け入れたばかりか、救国の象徴として、ジャンヌに鋼鉄の装備を貸与することにしたのである。
ここにジャンヌは、巫女どころか戦争指導者の役まで担うことになったのである。将門の役まで背負うこととなったのだ。
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現在は『ジャンヌ・ダルクまたは聖者』を連載中、『謙信と信長』(全36回)『光秀の武略に学ぶ』(全8回)など長編もお読みいただけます。
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